3・11の後に
急激にあったかくなって、我が家の小さなオカメ桜も満開に
(↑ヤラセ感満載でスマソ)
急な温度変化で、なにやら落ち着かんけど、
今年も春がやってきましたなす。
そして今年も3月11日がやってきました。
東北から遠く離れたところに住んでいて、
直接被害を受けていないワタシ達は、ともすれば、
日々の雑多な暮らしの中であの日の衝撃を忘れてしまいがちで。
薄情にも、自分の生活の中に気持ちも埋もれてしまう。
けど。
折にふれて思い出すことが出来るのは、
遠く離れたこの愛媛の地で、東日本大震災の支援のために
実際に活動している、歌う人たちの存在が近くにあるから。
ふだんはこんなに可愛らしい笑顔の明るい彼女たちです。
普通の?お母さんやったり奥さんやったり働く女子やったり赤鬼やったり。←?
だけど、彼女らの紬ぐ歌声と、その骨太の精神と行動力はすばらしく。
『YELLプロジェクトえひめ』 を立ち上げて活動している彼女たち。
ひとりだけでは何かしたいと思っても、なかなか出来ないけど、
彼女たちの歌と行動に乗っからせてもらって、 (←情けないww)
自分も少しでも、ほんの少しだけでも何か。
そうやって少しずつ輪が広がってゆけばいいな。と。
2年前の3月11日の東日本大震災。
あの出来事はやはり同じ日本に住む者にとっては衝撃的すぎた。
その衝撃が薄れてきている感は正直否めないけれど、
何かの折にふれて、やっぱり思い出す。
。。というか、気持ちの中で何かが変わったのは確か。
例えば。。
うちのオットはとにかく出張が多い。
出張に行っても仕事が終われば元気に家に帰ってくる。
それが当然と思ってた。
やけど、あの日以来、出張にオットを送り出した後に、
「もしかしたら、これで会えんかもしれん」
「何かあってもう帰ってこんかったら、アレコレ後悔するんやろなぁ」
「もっと優しくしとけばよかったなあ」 (←コレはおかしいやろww)
と、必ず思うようになった。
ワタシは元来そんなに心配症な性格ではないんやけど。
けど実際、明日は何が起こるかわからない。
今日と同じ朝が来ることは当たり前じゃない。
明日もまた会えるとは限らない。
それを強く思うようになったこと。
それから。
「自分にはアレが足りない、コレが足りない。」
それを言えることは、すごい贅沢なことだと思うようになったこと。
みんな何気なくすぐに口にするけど。
帰れる温かい家があって、そこには家族が元気でいて、
みんなで一緒にご飯が食べられて。
食べたいなぁと思うものが美味しく食べられて。
笑ったりバカを言ったりできる友達や仲間がいて。
自分の仕事があって。
自分を心配してくれる人がいて。
自分が心配してあげられる存在がいて。
それで十分じゃないのか。。
日本は恵まれすぎていて、平和ボケ、便利ボケしている。
自分も含めてやけど。。
何かがすぐに手に入るのが当たり前になっているから、
あるものはそこにあって当然で、足りないものにばかり目がいくのだろう。
忘れたらいかんと思う。
自分はいっぱい大切なものを持っていること。
自分は幸せだということを。
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コメント
ほんとやねー。
私にとってもガスポネーションのみなさんの存在はとっても大きいよ。
私って、便乗してるだけやん!って時々情けないな〜って感じる時があるけど、
声かけてもらわなかったら便乗すらできていないかもしれん。
だから、ガスポネーションのみんなにはめちゃめちゃ感謝しています。
あ、ポストカードありがとう。
投稿: めぎも | 2013年3月14日 (木) 23時10分
めぎもんのあのポスカ、やっぱ人気あったよ~(゚▽゚)ノ
思わず手にとってしまうんよね♪
そして。
その気持ち分かる気がする。。
なにかを最初に立ち上げるのはホントに大変やもん。。
彼女らもすごーく大変やったんやろうし。。
そういう場所があって、便乗って形で時々やけど参加させてもらうことが出来てワタシも感謝してる。
じゃないと、気持ちだけ持て余して何にもせずに終わってしまいそう。。汗
て。ワタシは大したことしてないけどー。滝汗ww
めぎもんはフットワーク軽くてスゴイよ。
投稿: かっきー | 2013年3月14日 (木) 23時45分